大判例

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和歌山地方裁判所 昭和47年(わ)282号 判決

被告人 阪本紋九郎

大一一・四・一三生 会社役員

主文

被告人を禁錮一〇月および罰金一〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から二年間右禁錮刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

第一、被告人の経歴

被告人は、大阪市北区西野田亀甲南之町で父幸一の三男として出生し、商業学校を卒業して後、父親の経営する大阪府東大阪市所在の阪本製薬株式会社の手伝いをしていたが、二〇才で兵役に就き終戦で復員し、昭和二七年父親の下から独立して大阪市内で大衆浴場やホテル数軒を経営し、さらに、国鉄紀勢線全通の観光ブームの波に乗つて紀南方面に進出すべく同三五年一月南紀椿温泉街の旅館「丸河荘」を買収し、同年二月一日からこれを「椿御苑(木造二階建、客室数一三)」と改称して観光温泉ホテルを個人経営することになつた。その後増改築を重ね、その経営組織を「阪本観光株式会社」に改め、同四四年九月には「株式会社椿グランドホテル」と商号を変更してその代表取締役に就任するとともに、同四三年ころから大阪市所在「株式会社大阪帝国ホテル」の代表取締役にも就任し、右両社の経営を掌理して現在に至つているものである。

第二、株式会社椿グランドホテルの概要

一、会社発展の推移

株式会社椿グランドホテルは、和歌山県西牟婁郡白浜町一、一〇一番地に本店を有し、旅館、料理飲食店の経営などを営業目的とする会社であり、その由来は、前記のとおり観光温泉ホテル「椿御苑」に始まり、右ホテルが同三六年九月ころほぼ全壊に近い台風の被害を受けた後、同三九年二月二〇日、「阪本観光株式会社」の設立に伴い被告人が代表取締役に就任し、翌四〇年一月一日に鉄筋コンクリート造り五階建の建物(本件火災当時の本館部分に該当する。)を新築するとともに既存建物を増改築(本件火災当時の中央館部分に該当する。)して規模を拡大し、さらに同四三年一月一日多額の借入金によつて鉄筋コンクリート造り七階建の建物(本件火災当時の新館部分に該当する。)を新築したうえ、翌年商号を変更し、南紀椿温泉街にあつて最大規模の政府登録国際観光旅館「株式会社椿グランドホテル」が誕生した。

二、椿グランドホテル建物の概要

椿グランドホテルの敷地面積は約五、四五七平方米、延床面積は約一万三、五八六平方米であり、客室数八四室(他に宴会場七室がある。)、宿泊定員約四二〇名のホテルで、海岸に突き出し三方を海に囲まれたほぼH字形をなす建物群により構成されている。すなわち敷地の北端にある東西に細長い鉄筋コンクリート造り五階建の本館、敷地の南端にある東西に細長い鉄筋コンクリート造り七階建の新館、そしてこの両建物に接続して挾まれた部分に南北方面に位置する木造モルタル塗りスレート葺一部三階建の建物と、一、二階鉄筋、三階鉄骨の三階建の建物で構成される中央館、その他に本館南西隅にある三階建の別館(一、二階は木造モルタル塗り、三階は鉄骨建)、右別館南西にある鉄骨二階建の大浴場などから成っている。各建物の構造、施設は、本館については、一階には玄関、フロント、事務所、ロビー、用度室などがあり、二階にはロビー、パールコーナー、バー・ホール、劇場などのほか客室六室があり、三、四階にはそれぞれ客室一二室、中広間二室(三階は黒汐、葵の間、四階は那智、桐の間)など、五階には客室五室、大広間鳳の間などがある。新館は一階から七階まで各六室の客室などがある。そして中央館については、一階に調理配膳室、二階に娯楽場、のれん街、喫茶グリル、配膳室などがあり三階には紀州の間を始め浜木綿、熊野の各宴会場がある。その他別館には一階に応接室、社長居室、二階に客室五室などがあり、付属建物として従業員食堂、倉庫などがある。

三、会社の組織及び経営状態

株式会社椿グランドホテルは、代表取締役の被告人を始め取締役阪本悦子、同宮本茂子、同阪本登、同栗林泰助、監査役木村保の役員陣を擁していたが、右阪本悦子以下の者は親族ないし単なる名義上の存在で、被告人は実質上唯一の経営責任者であつた。同ホテルには、経営責任者である被告人を頂点として、その指揮系列下に、総務支配人阪本登、営業支配人塩地重信が、さらに右総務支配人のもとに阪本登兼務の総務係、施設課長小松文夫、調理課長後藤幸三、用度仕入課長福栄笑子、営膳課長熊谷半兵衛、夜警係伊谷拾之助らが、また右営業支配人のもとに営業部長浜口真司、予約課長内山幸久、フロント課長瀬戸義昭、接客課長橋本恵、接待課長内藤純子営業第二課長田中紀光、浴場係中川善吉らがそれぞれ配置され、その他に大阪案内所(所長船山隆志)が観光客の誘致、宣伝、予約の受付等の業務を担当し、その従業員の総数は約九六名であつた。しかし各支配人の事実上の職務内容は、総務支配人阪本登において専ら資金繰りなどの経理面を担当し、その他の経営全般を営業支配人塩地重信が担当し、施設課以下についても塩地の所轄分野に属しており、特に同ホテルには文書化された業務規定や就業規則もなく、各ポストの職務内容ないし権限にはやや明確さを欠いていた。

ところで、被告人は、大阪市に居住し同市内にある前掲「大阪帝国ホテル」の経営にも当たつていたが、宿泊客の多い金曜日や土曜日を中心に月のうち約半分位の割合で「椿グランドホテル」に出向き、別館一階の前記社長居室に起居しながら営業支配人塩地や営業部長浜口から留守中の経営状況などの報告を受け、関係書類等に目を通して決裁し、あるいは小切手を振出すなどして同ホテルの経営実務に直接関与し、被告人の意向に基づき同社の経営全般が進められていた。

被告人は、前記のように椿グランドホテル新館を新築すると共に大阪市内や白浜温泉街に順次ホテルを買収してホテル業を拡張していつたが、右新館の新築費用等の資金として金融機関等から約七億円を借入れたため、その利息等の債務が嵩んで経理内容が悪化し、昭和四四、五年には固定資産の一部を売却整理する事態に追い込まれ、会社収益の向上に努めたものの、赤字経営の継続を余儀なくされた。そして、昭和四六年度(同ホテルの決算期末は翌年の一月末日。)は、宿泊客総数約六万人、売上げ総額約二億八、三〇〇万円を計上するも、損益計算の結果なお約一、七〇〇万円の赤字が見込まれる状況で、本件火災当時、慢性的累積赤字約一億二、〇〇〇万円をかかえ、金融機関等への負債額がまだ約五億円ほど残つていたほか、日常の米、酒、魚等の納入業者に対する支払滞納額は約三、〇〇〇万円に及び、従業員に対する給料の遅配も慢性化し、そのため従業員の変動も激しく、経営内容は極めて悪くなつていた。

第三、罪となるべき事実

一、業務上過失致死傷罪について

被告人は、和歌山県西牟婁郡白浜町椿一、一〇一番地所在の観光旅館「株式会社椿グランドホテル」の代表取締役社長として同旅館の経営、管理を統括するものであるが、消防法令の定めるところにより防火対象物である右椿グランドホテルにつき消防計画を作成し、これに基づいて従業員を指揮、監督して消火、通報および避難訓練を実施し、さらに消防、避難ないし警報に関する設備や器具を設置してこれらを常時点検整備し、これらが不備、不適当な場合には早急にその補修、改善などに努め、また宿泊客に対しあらかじめ誘導灯や案内図などにより避難口、避難要領などを告知し、併せて防火管理者などをしてこれらの措置を行わしめてこれを指揮、監督する等の業務に従事していたところ、不時の出火に備え宿泊客らに早期に火災の発生を報知し安全に避難させるため煙感知器付自動火災報知設備を早急に設置し、かつ、既に設置してある熱感知器付自動火災報知設備を常時点検、整備し、故障、欠陥などの不備を発見した場合には直ちにこれを補修、改善し、ことに右自動火災報知器の受信機には、同ホテル従業員の施設課長小松文夫において製品規格、法令等を無視してナイフスイツチの安全開閉器二個を独断で取り付け、誤報が発生したときには従業員が各自容易に右スイツチを切つて電源を切断する取扱いになつていたのであるから、故障などのため電源を切断していることを発見したときは直ちにこれを補修、改善して常に正常に作動しうる状態に置くように点検整備、管理すべき業務上の注意義務を負つていたにもかかわらず漫然これを怠り、昭和四六年二月以降所轄白浜町消防本部消防長から度々煙感知器付自動火災報知設備の設置方を指示されていたのにこれを設置せず、かつ昭和四七年一月一二日、誤報が発生して熱感知器付自動火災報知設備の電源を切断していることを、偶々消防用設備等の設置状況についての立入検査のため同旅館に立ち寄つた白浜消防署係員山本育次、柏木寛三郎に発見され、同人らから速やかに修理のうえ電源を入れて正常に作動しうる状態におくように指示されたのに、これを修理することなく電源を切断したままの状態に放置した過失により、同四七年二月二五日午前六時三〇分ころ、同ホテル中央館三階紀州の間配膳室付近より出火して全館焼失の火災となつた際、宿泊客らに対して早期に火災発生の通報をすることができなかつたため宿泊客らをして火災発生の発見および避難の開始を遅らせ、よつて別紙死傷者一覧表記載のとおり同ホテル本館五階の各客室に宿泊していた平田安一、佐々木かずの、牧野瑩子の三名をして同所付近で焼死するに至らしめ、かつ本館四階の各客室に宿泊していた田中菊枝、山下ヨシエ、有川タケノの三名をして、本館四階ベランダに設けられた消防用ホースなどを伝つて降下することなどを余儀なくさせ、また、中央館三階熊野の間に宿泊していた従業員藤井悦子をして同間南側ガラス窓より外に出て同窓枠(サツシユ)にぶらさがつて救助を求めることを余儀なくさせ、それぞれ転落するなどした結果、右田中菊枝ら四名に対し加療一週間ないし六ヶ月を要する腹部外傷、第一腰椎圧迫骨折など同表「被害状況」欄掲記の各傷害を負わせたものである。

二、消防法違反罪について

被告人は、昭和四三年二月二一日、株式会社椿グランドホテル従業員藤岡謙二を防火管理者に定め、同年五月二二日所轄の白浜町消防長にその届け出をなしたが、同四四年一二月下旬ころ右藤岡が同ホテルを退職したことによりこれを解任し、その後同四六年二月中旬ころ同ホテル従業員塩地重信を防火管理者に選任したにもかかわらず、同四七年二月二五日まで同消防長に対し、右解任および選任した旨を届け出なかつたものである。

三、電気事業法違反罪について

被告人は、自家用電気工作物として同ホテル本館および新館の各屋上に受電機械類を設置していたにもかかわらず、昭和四二年七月上旬ころから同四七年二月二五日までの間、自家用電気工作物の工事、維持および運用に関する保安の監督をさせるための主任技術者を選任しなかつたものである。

第四、証拠の標目(略)

第五、法令の適用

被告人の判示第三の一の所為は、行為時においては刑法二一一条前段、昭和四七年法律六一号罰金等臨時措置法を改正する法律による改正前の同法三条一項一号に、裁判時においては刑法二一一条前段、右改正後の罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから刑法六条、一〇条により最も軽い行為時法の刑によることとし、右は一個の行為で七個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い別紙死傷者一覧表番号1の平田安一に対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、判示第三の二の所為は消防法(昭和四七年法律九七号附則8により同法律による改正前のもの)四四条五号、八条二項に、判示第三の三の所為は電気事業法一一八条七号、七二条一項に各該当するので、判示第三の一の罪につき所定刑中禁錮刑を、判示第三の二の罪につき所定刑中罰金刑を各選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、罰金刑については同法四八条一項本文によりこれを右禁錮刑と併科することとし、同条二項により判示第三の二および三の各罪所定の罰金刑を合算し、その刑期および金額の範囲内で被告人を禁錮一〇月および罰金一〇万円に処し、右の罰金を完納することができないときは、同法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、なお後掲情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右禁錮刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用してこれを全部被告人に負担させることとする。

第六、当裁判所の判断

一、被告人の注意義務違反について

当裁判所は、本件過失の内容として、前判示のとおり、(1)煙感知器付自動火災報知設備の設置義務の懈怠、(2)熱感知器付自動火災報知設備の点検整備義務の懈怠をそれぞれ認めたので、先ずこの点について補足的な説明を加えることとする。

1、本件火災の状況

前掲関係各証拠によると、右火災の状況について以下の(一)ないし(四)の各事実が認められる。

(一)、本件火災当時における宿泊客らの状況

昭和四七年二月二五日当日の宿泊客としては、本館三、四階および新館三ないし六階に大阪市大正区所在大和信用組合大正支店の招待客である大正千人会会員ら二四七名(うちバス運転手、ガイドなど一四名を含む。)、新館一、二階に大阪府泉北郡忠岡町在住の真言宗信者で結成する親切講の慰安旅行団五五名(うち旅行案内所々員ら三名を含む。)、本館二階に読売新聞大阪支店募集の旅行団四八名(うちバス運転手、ガイドなど三名を含む。)計三団体三五〇名の団体宿泊客のほか、本館五階および新館七階に個人の宿泊客一四名がいた。

他方、従業員のうち当日の朝食準備などの都合で前夜から本館、新館各配膳室や中央館三階熊野の間などに女中二〇名以上が宿泊待機していた。

本件火災発生時右宿泊客の多くが各客室で就寝中ないし起床直後であり、その他に各一〇数名の者が入浴中ないし廊下やフロントなどを往来していた。また、従業員は、付近の社員寮から出勤して来た者を含めて約八〇数名の者が各階配膳室や本館一階調理配膳室などで朝食準備、フロント業務など所定の業務に従事していた。

(二)、紀州の間配膳室付近からの出火の状況等

昭和四七年二月二五日午前六時三〇分前後ころ、中央館三階の宴会場紀州の間配膳室付近から出火し、本件火災が発生した。

右出火原因については、女中の不始末火の疑いが濃厚であるが、結局確定するまでには至らなかつた。

右紀州の間配膳室付近から出た火焔は、中央館三階の紀州、黒汐、浜木綿、熊野の各広間等に燃え広がるとともに、その一部は中央館三階から同二階に通じる階段(中央館二階娯楽場の配膳室と両替所の間にある階段)を経て同二階娯楽場、のれん街に燃え移り、さらにビリヤードの設置してある娯楽室の通路ないし中央館三階の紀州の間南端から新館二、三階に燃え移つて新館にまで拡大し、新館南西隅の階段を炎道として新館各階に燃え広がつて行き、他の一部は中央館二、三階北側からこれに接続する本館二、三階南側に燃え移つて本館にまで拡大し、本館南西隅の非常階段および中央階段を炎道として本館各階に燃え広がつて行つた。そしてやや遅れて右火焔は別館を経て大浴場へ、また中央館一階の調理配膳室等や新館一階へと拡大し、午前七時ころには椿グランドホテルは一面火の海となつた。なお当日の日の出は午前六時三五分であつた。

(三)、宿泊客らの避難、消火の状況

本件火災発生当時、椿グランドホテルには宿泊客を含め、四〇〇名を超える在館者がいた。

当日午前六時半過ころ、一人の女中が、「二階の配膳室のほう火事や」と言いながら本館一階売店へ知らせに来たので、売店係員は中央館一階調理配膳室へ通報に走つた。同室で調理中の藤原恵美子他数名は、直ちに中央館二階娯楽室へ急行して、同所配膳室傍の、紀州の間などへ通じる階段の踊り場付近から火が出ているのを発見したが、同女らは火の勢いなどから十分に消火が可能であると判断し、後からついてきたコツク二名に消火器を渡すとともに消火器を取りに走つた。その間、騒ぎを知つて駆けつけた十数名の者の手を借り、消火器や消火栓を利用して消火活動が続けられたが、火勢はますます強くなる一方であつた。

他方、本館五階鳳の間配膳室で朝食の準備をしていた女中倉本マスエ、橋本しまえなど約二五名は、午前六時半過ころ偶々配膳室南側廊下から窓外を見下した際、中央館紀州の間北側の庇から黒煙と炎が吹き出しているのを発見し、一部の女中は付近の客室や自己の担当客室である本館二ないし四階あるいは新館二ないし五階などに火災の発生を知らせに回り、他の女中はあわてて椿グランドホテルの社員寮へ走りあるいはそのまま館外へ避難したりした。また本館三、四階の各配膳室などに居て火事に気付いた女中数名も本館二、三階や大浴場へ火災の発生を知らせに回り、館外へ避難するなどした。

宿泊客のうち本館の各客室に居た者については、出火場所の紀州の間に近い二、三階に居た者は、同室者や女中などに火災の発生を知らされあるいは廊下などで火事だと叫ぶ物音を聞くなどして比較的早期に火災の発生に気付き、中央階段やエレベーター等を利用して正面玄関から無事に館外へ避難した。しかし本館四、五階の各客室に居た者については、偶々早朝に火災を発見して南西隅の階段やエレベーターで避難しえた者が数名いたものの、多数の者は火災に気付いたときは時既に遅く廊下に煙が充満していたため階段などを利用して避難することが出来ず、止むをえず避難口を求めて窓外のベランダに出て右往左往している間にやつと救助のために差しのべられた消防車のハシゴ車や消防用のホースなどを伝つて避難することができた。そしてその際、本件被害者のうち本館四階の四〇三、四〇五号室に居た田中菊枝、山下ヨシエ、有川タケノの三名は、それぞれ敷布をベランダに結んで地上へ垂らしこれを伝つて降下中、力尽き足がはずれ手が滑つて転落し、あるいは救助のため階を追つて順次投げ上げられ結びつながれて四階ベランダまで届いた消防用ホースに掴つて降りる際、力尽きて転落し又はその際手指に怪我をするなど各傷害を負つた。また本館五階五一二号室に居た平田安一は、午前七時過ころ同室者から火災の発生を知らされ、黒煙の充満する停電中の廊下に駆け出して行き鎮火後五一〇号室前の廊下で焼死体となつて発見され、五一五号室に居た佐々木かずの、牧野瑩子もまた、同室内で折り重なるようにして焼死しているのを発見された。さらに、中央館三階熊野の間に宿泊していた従業員藤井悦子は、同間で就寝していたため、火災の発見と避難の開始が遅れ、前認定のように転落負傷するに至つた。

新館の各客室に居た者は、比較的火の回りが遅かつたため、廊下などで火事だと騒ぐ物音や火事を知つて駆け込んできた同室者の通報などによつて火災の発生を知り、煙と炎のたち込める前にエレベーターや西側階段、非常階段を利用して全員無事館外へと避難した。さらに大浴場やフロント、廊下などに居た宿泊客も火災を現認するなどして無事に避難することができた。

(四)、本件火災の鎮火

白浜消防署は、前同日午前六時四五分ころ椿グランドホテルの夜警員和田博次からの一一九番通報により本件火災の発生を知り直ちに出動するとともに、隣接市町村との消防協定に基づき田辺市や西牟婁郡日置川町、上富田町の各消防団へ出動方を要請した。消火および救助のために出動した消防車両台数および人員は、白浜消防署関係でスノーケル車およびポンプ車各一台、タンク車二台、人員二〇名であり、消防団関係で隣接市町村の応援をも含め、ポンプ車九台、可搬ポンプ八台、タンク車一台、救急車二台、人員約二九〇名であつた。その結果、本件火災は椿グランドホテル(敷地面積約五、四五七平方米延床面積約一万三、五八六平方米)を全焼し、死者三名および負傷者六名を出し、同日午前一一時五五分ころ鎮火した。なお火災による財産的被害は、建物五億一、八〇〇万円位、動産一億八、〇〇〇万円位、総額六億九、八〇〇万円位であつた。

2、ところで過失犯が成立するためには、先ず構成要件該当性、違法性の問題として過失行為の存在すなわち客観的注意義務があるのにこれに違反した行為が存在すること、および右過失行為と結果の発生との間に因果関係があることのほか、責任性の問題として右の過失行為によつて発生した結果について、その行為者に非難を加えることの可能性が存在すること(主観的結果予見および回避可能性)が必要であるが、右にいう構成要件的過失ありというためには、行為者が因果的経過の概要を含む構成要件的結果を予見することが可能であることが必要であり、これによつて主体的に結果への因果の進行を回避しうる措置をとりうることになるわけであるから、結局、客観的な結果予見可能性および回避可能性が必要であると解するのが相当である。

そこで、右の見解に基づき、被告人に対し前記第六の(一)冒頭掲記のような二個の客観的注意義務を負わせることの可否につき、前掲関係各証拠を総合して次項以下において順次検討する。

3、被告人に対する業務上の注意義務の根拠ないし内容

(一)、椿グランドホテルでは、代表取締役である被告人が同ホテルの経営、管理の一切の権限を掌握し、その指揮系列下に前認定のように経理担当の総務支配人阪本登および営業全般担当の営業支配人塩地重信らが配置され、特に右塩地は昭和四六年二月中旬ころから防火管理者に選任され、防火管理上必要な業務に従事していた(消防法八条、同施行令二条参照)が、その当時前示のように経営内容が悪化していたこともあつて金銭的支出を要する事項については少額の備品、設備などの購入についても全て被告人の決裁を必要とし、これら両支配人以下の従業員に対しては被告人が直接指揮、監督する立場にあつた。

他方、椿グランドホテルは、消防法上の防火対象物に該当し(消防法施行令六条別表第一、五イ参照)、連日多数の団体、個人の宿泊客を収容し、これらから宿泊料などを徴収して営利を図つていたものであるから、その経営責任者に対し条理上当然に宿泊客らの生命・身体・財産などに対する安全を確保するため万全の措置を講ずることが要請されているものというべく、右経営責任者は、火災事故の発生を防止するため、消防法令の趣旨・目的に添い防火管理上の必要な業務を自ら履行する義務を負うものというべきであり、当該義務は消防法八条一項に定める防火管理者の選任により直ちに免責されるものではなく、その選任後においても同条項所定の防火管理者の義務とともに併存しているものと解するのが相当である。すなわち、消防法八条一項は「多数の者が出入し、勤務し、又は居住する防火対象物で政令で定めるもの」につき防火管理を強化徹底するため、これら対象物の管理について権原を有する者(以下、管理権原者と略称する。)をして消防法令の趣旨・目的に添い特に防火管理者を選任して右防火管理上の必要な業務を行なわせてこれを指揮、監督することを義務づけ、その業務の具体的内容を明規したものと解すべきものである。したがつて、被告人は、防火対象物「椿グランドホテル」を経営する管理権原者として、消防計画を作成し、これに基づき従業員を指揮、監督して消火、通報および避難訓練を実施し、火災発生のときに敏速な避難誘導などがなされるよう配慮し、さらに消防、避難ないし警報に関する設備や器具を設置してこれらを常時点検整備し、これらが不備、不適当な場合には早急にその補修、改善などに努め、また宿泊客に対し予め誘導灯や案内図などにより避難口、避難要領などを告知し、併せて防火管理者などをしてこれらの措置を行わしめてこれを指揮、監督し、もつて火災事故の発生を未然に防止し、宿泊客らの被害を最小限に止めるべく万全の措置を講ずべき責務を負つていたものというべきである。

(二)、被告人に対する個別的注意義務の内容―煙感知器付自動火災報知設備の設置義務および熱感知器付自動火災報知設備の点検整備義務。――について

(1)、椿グランドホテルは、本館が一階から五階まで計約一〇の警戒区域に、新館は一階から屋上まで計八の警戒区域に、中央館は計一六の警戒区域に別れ、全館で総計約三四の警戒区域に区分されていた。そして各部屋の天井等に主として客室用の差動式スポツト型感知器と厨房、ボイラー室等用の定温式スポツト型感知器が設置され、本館一階事務室南東隅に自立型六〇窓の自動火災報知器受信機が備え付けられていた。ことに紀州の間および同配膳室には、それぞれ差動式スポツト型熱感知器が五個および二個設置されていた。右の受信機の扉表面の中央やや上の部分には横に長いスイツチ盤があり、そこには全館ベル動作スイツチ、主ベル動作スイツチなどが並び、さらに受信機内部の左上部に電源スイツチが備えつけられていたが、その他に、右受信機には、椿グランドホテル従業員の施設課長小松文夫が、扉表面の右上部および内部の電源スイツチ真下に、製品規格、法令などを無視して独断で取り付けたナイフスイツチの安全開閉器二個があつた。そして、以上の各スイツチが全て正常位(オンの状態)にあれば、いずれの警戒区域からの火災でも各区域に設置の熱感知器を通じて覚知し、その火災発生区域を示す地区表示灯(受信機扉表面の窓部分)にライトがついて火災発生区域を知らせるとともに全館に電鈴(ベル)が鳴つて火災の発生を自動的に知らせる仕組になつていた。

(2)、旅館については、防火対象物として、政令で定める技術上の基準に従い消防の用に供する設備、消防用水および消火活動上必要な施設(以下、消防用設備等という)を設置しおよび維持すべき義務があるところ(消防法一七条参照)、右消防用設備としての警報設備のうち、自動火災報知設備については、昭和四四年三月一〇日政令一八号の改正による消防法施行令二一条により、その設置が義務付けられ、(消防法施行規則二三条五項参照。)、右政令は既設の自動火災報知設備等につき昭和四五年九月三〇日までの猶予期間の規定を置いて同四四年四月一日から施行された。

自動火災報知設備は、火災の早期発見通報に最も有効な物的設備として広く知られ館内に配備された感知器によつて、火災によつて生ずる高温(熱)あるいは燃焼生成物(煙)を利用して自動的に火災の発生を感知し、これを受信機に発信し、火災発生区域を知らせるとともに全館に電鈴(ベル)が鳴つて火災の発生を自動的に知らせるもので、一般的に、煙感知器付のものは、熱感知器付のものよりも早期の発見、通報に有効とされている。

(3)、右のような自動火災報知設備を完備することは、多数の宿泊客らの生命身体財産などの安全を確保するうえにおいて必要不可缺なものであり特に、前示のように複雑多数な警戒区域のある高層巨大な建物を営業の用に供するホテル業者にとり右設備の必要度の高いことは多言を要しないところであり、これらの諸点を併わせ考えると、被告人は前認定のような状況のもとにおけるホテルの経営管理権原者として自動警報設備を設置し、これが維持管理に努めるべき義務を負つていたものであり、前記政令の改正に伴い速やかに煙感知器付自動火災報知設備を設置すべき業務上の注意義務を負つていたもの、さらに、既に設置されている熱感知器付自動火災報知設備については、前記私設のナイフスイツチによつて誰でも容易に電源を切断できるのであるから右火災報知設備を常時点検整備し、故障など不備を発見したときは直ちに補修、改善してそれが常に正常に作動しうる状態に置くように管理すべき業務上の注意義務を負つていたものというべきである。

尤も、本件火災当時右ホテルには、消防法所定の防火管理者として塩地重信が選任されていたことは前認定のとおりであるけれども、それゆえに被告人の右一連の義務が免責されるものでないことは前説示のとおりであり被告人はホテルの経営・管理権原者として別個独立の責務を負担するものであり、このことは被告人の地位、職務内容、従業員らに対する指揮監督の状況、経営状態などに照らしても容易に首肯できるものと考える。特に既に述べたように、自動火災報知設備を完備することは火災事故を防止するうえで最も重要、基本的な注意義務に属するものであり、これが設置には多額の費用を要し、当該費目を含む諸経費の支出権限を有する被告人(管理権原者)にこれらの注意義務の履行を期待要請しうることは当然の事理といわねばならない。

4、そして、これらの注意義務の違反の状況は次のとおりである。

〔I〕、煙感知器付自動火災報知設備設置義務の違反

(1)、前記消防法施行令の改正による煙感知器付自動火災報知設備等の設置については、白浜消防署の主催で昭和四四年四月二四日椿グランドホテルを会場とし、椿温泉地区の旅館、保養所を対象に説明会が開催され、さらに同四五年九月七日付の「改正消防用設備の設置について」と題する書面が椿グランドホテルを始め同地区内の各旅館等に配布されるなど、右改正施行令の趣旨、内容について周知徹底が図られた。さらに、各旅館における消防用設備等の設置状況について数次にわたる白浜消防署の立入検査が実施され椿グランドホテルに対しても昭和四六年二月以降同様の立入検査がたびたび実施され、その都度消防用設備等の設置、維持、管理について個別的な行政指導がなされた。ことに、昭和四六年二月一二日、同年一〇月五日、同四七年一月一二日には白浜消防署の立入検査を受け、同署員から「煙感知器付自動火災報知設備の設置、放送設備の完備、誘導灯の設置」など数項目に及ぶ具体的な指示を受け、その数日後には同じ内容を記載した「消防用設備等指示書」の交付を受けた。また同四六年一〇月末ころ営業支配人で防火管理者でもある塩地重信は白浜消防署から呼出しを受けて同署に出頭したところ、同署員柏木寛三郎から煙感知器付自動火災報知設備等の設置を早急になし、かつ設置の予定日時を記した誓約書を提出するよう強硬に要請された。被告人は、以上の事情について直接見聞し、あるいは塩地や小松等の従業員から報告を受けて承知していた。

(2)、しかるに、被告人は、前記消防法施行令の改正に伴い速やかに煙感知器付自動火災報知設備を設置すべき業務上の注意義務があつたのにこれを怠り、数次にわたる白浜消防署の消防用設備等の設置方の指示に対し、昭和四六年一二月初めころ本館、中央館の誘導灯を約一二〇万円の費用で設置したに止まり、漫然火災の発生することはあるまいと考え、煙感知器付自動火災報知設備の設置をしなかつた。

〔II〕、熱感知器付自動火災報知設備の点検整備義務の懈怠

(1)、熱感知器付自動火災報知設備は、設置された後の昭和四〇年ないし四三年ころたびたび火災でもないのに電鈴(ベル)が鳴る誤報事故を繰り返し、前任者である防火管理者藤岡謙二において大阪市所在株式会社日本信号に依頼して補修をしていた。その後塩地重信が防火管理者となつた同四七年二月ころ以降も数回にわたる誤報を繰り返していた。その間、同四五年ころ施設課長小松文夫において自動火災報知設備の受信機の扉表面右上部他一個所に安全開閉器のナイフスイツチを取り付け、その傍に「ベルが鳴りやまないときはこのスイツチを切つて下さい」と貼紙をし、それ以後は誤報が発生した場合には従業員が各自右スイツチを切り、施設課長小松においてその後しばらくしてスイツチを入れて様子を見、あるいは該当箇所を点検、整備する取扱いになつた。そして同四五年以降は前記日本信号に補修の依頼はしていない。このことについて被告人は承知していた。

(2)、昭和四七年一月一二日以前に誤報が発生したため前記取扱いに従い従業員が右スイツチを切つて受信機の電源を切断した状態のままにしていた。そして同月一二日、白浜消防署の立入検査の際、右スイツチを切つて電源を切断していることを発見され、施設課長小松文夫は、同署員から早急に熱感知器付自動火災報知設備を修理して電源を入れておくように厳重な注意を受けるとともに、翌二月四日付で同署長名の消防用設備等指示書の送付を受け、「自動火災報知機の電源を切らないこと」との特別の指示を受けた。そこで施設課長小松は立入調査の翌日ころ誤報原因の調査をし、該当箇所の熱感知の内部を拭くなどの簡単な補修をなしたが、依然として誤報が鳴り止まず、原因を確知するに至らなかつたため、右スイツチを「断」の状態にしたままにしておき、前記日本信号に交渉し、補修が有償であるとの返答を受けたので、補修の依頼をせず、その後すぐに、右立入検査や補修交渉等の事情を営業支配人塩地および被告人に口頭で報告し、同人らに右自動火災報知設備の補修を要請した。

(3)、被告人は、既設の熱感知器付自動火災報知設備を常時点検し、故障など不備を発見したときは直ちに補修、改善してそれが常に正常に作動しうる状態に置くよう管理すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、昭和四七年一月一五日ころ施設課長小松などから一月一二日の消防署の立入検査の結果や日本信号との補修交渉等について口頭説明を受け、したがつて、熱感知器付自動火災報知設備の電源が切断された状態になつていることを十分知つていたにもかかわらず、その補修方を要請する施設課長小松等に対し被告人自から直接日本信号に連絡すると言つただけで、資金の目途が立たないことを理由に漫然と右自動火災報知設備の補修、整備などの措置を講じなかつた。

5、次に、結果の予見および回避可能性について若干言及する。

まず、本件被害者らの死傷という結果を回避するためにはどのような措置にでることが可能であつたかを検討するに、その措置は、前判示のとおり、焼死した三名の被害者については前記第六、一、1、(三)の宿泊客らの火災発見、避難の状況や自動火災報知設備の機能、設置状況などから明らかな如く煙感知器付自動火災報知設備を設置するとともに、既設の熱感知器付自動火災報知設備が正常に作動しうるように常時点検整備しておくことである。ことに右焼死者は、火災が拡大して行つた遅い時期に火災の発生に気付いたため、退路を断たれてしまつたのに対し、被害者らと同じ本館五階客室に宿泊していた者の中には偶々早い時期に火災発生に気付き階段を降りて助かつた者(田村定兵衛、きゑ子)もいるのであるから、自動火災報知設備によつて早期に火災の発生を通報しておれば優に被害者三名の焼死は避け得たものということができるのである。また負傷した四名の被害者についても、同様のことが言える。これら被害者四名は、前認定のように本館四階ベランダないし熊野の間南側ガラス窓枠に避難しそれぞれ転落負傷したもので、一面避難器具の設置の点に結果回避の措置を求め得る余地がないでもないが、後述するとおり、本件具体的状況のもとではこの点については注意義務がないかこれを履行しているのであるから、この点について、過失は認められないところであり、前記第六、一、1、(三)で認定した本館四階等に在館した女中、宿泊客らの火災発見、避難状況、および本館階段等の状況などに照らすと、結局右と同様、判示二つの措置を講じ早期に火災の発生を通報しておれば被害者四名の負傷も避け得たものと認めるほかはない。

次に、予見可能性の点について付言するに、当時は既にホテル、旅館の火災が続発し、防火、早期通報、避難に自動火災報知設備が有効な機能を果たしていることはつとに知られていたところであり、本件ホテルを始め旅館、ホテルに対しては所轄消防署を通じて、消防用設備等につき説明会、立入検査が度々なされていたものであり、これら具体的状況のもとにおいて、ホテル経営の掌にあたる被告人が判示注意義務を怠れば、火災発生の際、その通報が遅れて本件被害者らの死傷という結果を生じるであろうことは十分予見しうるものであつたというほかはない。

二、死傷の結果との因果関係について

当裁判所は、前判示のとおり、検察官主張の五個の注意義務のうち、(1)煙感知器付自動火災報知設備の設置義務、(2)熱感知器付自動火災報知設備の点検整備義務の各懈怠を認め、右二個の注意義務違反と本件火災による三名の死亡と四名の負傷との因果関係を是認したので、この点について説明することとする。

1、平田安一、佐々木かずの、牧野瑩子の各死亡について

前掲関係各証拠によると、本館五階には東南角屋内に事実上宿泊客の利用不可能な固定式の避難はしごのほかに、西南屋内に階段が二ヶ所設けられていたこと、火災発生当時本館五階には、各客室に被害者三名を含め約一〇名の宿泊客と、大広間鳳の間配膳室に倉本マスエら女中約二五名が在館していたが、被害者三名を除き全員無事避難しえたこと、そのうち女中らと田村定兵衛、きゑ子夫妻は西南屋内の二ヶ所の階段を利用し、また持井こさと他三名の宿泊客は消防用ロープなどを利用したこと、ことに田村定兵衛は、当日午前六時一五分ころ起床して大浴場へ行き、入浴を終えて六時四〇分ころ廊下に出たとき、人の声で火災発生を知り、急ぎ本館二階のエレベーターに乗つて五階まで行き、五一三号室から妻を伴つて廊下に出たところ、すでに煙が充満していたが、煙の中をやつと本館西南にある階段に辿りつきこれを利用して脱出したこと、また右女中らは前判示のとおり午前六時半過ぎころ偶々火災の発生を知り、西南の階段を利用して避難したこと、他方、右田村夫妻らよりも遅く火災発生に気付いた持井こさとは、煙の充満する廊下に出ることができず、結局ベランダに避難してまもなく消防用ロープ等を伝つて脱出したことなどの事実を認めることができる。このような宿泊客らの個別的な避難状況や火煙の拡大進行状況、被害者ら三名の避難、死亡の状況等に照らすと、被告人において速やかに煙感知器付自動火災報知設備を設置し、かつ既設の熱感知器付自動火災報知設備を常時点検整備して正常に作動しうる状態にしておけば、被害者ら三名は、より早期に火災の発生を知つて階段などを利用して館外へ脱出することが十分可能であつたこと、したがつて被害者ら三名は焼死することなく、避難することができたであろうことを認めることができる。他面、被害者ら三名は、老年に属するも、他の避難、脱出した者と比較し年令、体力などの点で特に劣るとか、自力で脱出、避難することを妨げるような特段の事情も窺えない。そして既述のように被害者らの死傷という結果は、客観的に予見可能であつたというほかないのであるから、本件具体的状況のもとでは、被告人の判示二個の注意義務懈怠によつて本件被害者ら三名の死亡という結果の発生することは経験則上通常予想しうるところであつて、この間に相当因果関係を認めるに十分であるといわなければならない。

2、田中菊枝、山下ヨシエ、有川タケノ、藤井悦子の各負傷について

(一)、前掲関係各証拠によると、本館四階にも前段認定のとおり西南屋内に二ヶ所の階段、東南角屋内に固定式避難はしごがそれぞれ設けられていること、また火災発生当時本館四階には、各客室に被害者田中、山下、有川の三名を含め四〇数名の宿泊客と、那智の間配膳室に女中一名が在館しており、そのうちエレベーターを利用して避難した者が二名位、階段は九名位、ベランダからハシゴ車、消防用ホース等を伝つて避難した者が、被害者三名を含め二〇名位いたこと、その際被害者三名のみ判示の傷害を負うに至つたこと、そして那智の間配膳室にいた戎嶋田鶴子は、午前六時半過ころ、四〇一号室前の廊下で宿泊客に火災の発生を知らされ、階段を降りて中央館二階娯楽室まで来たところ、配膳室傍の階段付近で煙が出ているのを現認し、本館五階へ通報に向かつたが、本館四階の四〇一号室から西方階段の方へ煙が押し寄せて来たので五階へ行くのをあきらめて避難したこと、また森島茂は、午前六時四五分ころ起床し、北側窓下で人の騒ぐ声等で火災発生を知り、室内に煙が入つてきたので北側ベランダに避難し、そこで避難口を探したがなかつたので一旦室内を経て廊下に出、西南の階段に向かうも、煙が充満して辿りつけず、再びベランダに引き戻して二〇名余の者と立往生していたが、結局消防用ホースを伝つて避難したこと、これに対して被害者田中、山下、有川の三名は、午前七時ころ人の騒ぐ声などで火災発生に気付き、真暗く煙の充満する廊下を伝つて避難することもできず、北側ベランダへ避難し、消防用ホース等を伝つて降下中負傷したことなどの事実を認めることができる。このような宿泊客らの避難状況や被害者らの避難、負傷の状況、火煙の拡大進行状況並びに被害者ら三名には重大な過失や自力で脱出、避難できないような特段の事情も窺えないこと等に照らすと、被告人において判示二個の措置を履行しておれば、右被害者ら三名は、より早期に火災の発生を知り、階段などを利用して負傷することなく無事館外へ脱出することが十分可能であつたものというべく、当該具体的状況下においては、被告人の判示二個の注意義務懈怠によつて本件被害者ら三名の負傷という結果の発生することは経験則上通常当然予想しうるところであつて、この間に相当因果関係を認めるに十分であるといわなければならない。

(二)、また、前掲関係各証拠によると、藤井悦子が負傷するに至つた経緯につき以下の事実を認めることができる。すなわち、椿グランドホテルの従業員(接待女中)藤井悦子は、前夜から他の女中八名位とともに中央館三階熊野の間に宿泊していたが、二月二五日は担当の宿泊客の朝食が午前八時半であるため他の女中らが午前六時過ころ各持場に出かけた後も右熊野の間で就寝していたところ、他の女中が出た後しばらくして変な物音で目覚め、熊野の間西側出入口の襖が燃えているのに気付いたが、部屋の中を逃げまどううちに室内に炎が燃え移つてきたため、南側サツシユのガラス窓を開けて外に出、窓枠にぶらさがつて助けを求めたが、次第に火焔が押し寄せ、力も尽きて手が離れて転落負傷した。他方、本件火災当時紀州の間配膳室と向い合わせの本館三階黒汐の間西方にある配膳室には、女中内藤純子、樫山千代、柴田峰がいたが、右内藤らは、右配膳室等で中央館一階調理配膳室からリフトで朝食の上つてくるのを待つていたところ、午前六時四〇分ころ東方の黒汐の間から臭いとともに黒煙が吹き込んでくるのに気付き、急いで本館三階西方の階段を中央館二階娯楽室まで駆けおり、火元を確認して再び本館三階に戻つたが、右配膳室の中は煙が充満して入れず、大声で火事を知らせながら本館一階ロビーを経て避難したことなどを認めることができる。このような状況、ことに本件出火地点の紀州の間配膳室近くの本館三階配膳室にいた女中内藤らの避難状況に照らし、さらに被害者の自力による脱出、避難を妨げるような特別な事情や重大な過失も窺えないことなどをも併わせ考慮すると、前同様、この間の相当因果関係もまた認めるに十分というほかない。

尤も、右熊野の間へ至るには、中央館二階配膳室傍の階段を上つて浜木綿の間前へ出、東方へ行く経路しかなく、また右熊野の間北側は浜木綿の間と木製プリント板の壁で仕切られ、南側はアルミサツシユ窓が四ヶ所あり、東側はリプラス張り壁で、西側が襖で同間の唯一の出入口になつている構造であるけれども、被害者の避難を妨げた障害が、判示認定のとおり被告人の注意義務違反に起因する以上、右因果関係認定の妨げとはならない。

三、検察官の主張に係る注意義務違反を一部認めなかつた理由について

検察官は、前判示の二個の注意義務違反のほかに、「被告人は、不時の出火に備え宿泊客等に早期にこれを報知し安全に避難させるため、二階以上の各階に避難器具を設置し、かつ宿泊客の避難誘導等の訓練を実施し、宿泊客等に対しあらかじめ避難口、避難要領等を告知しておく等の業務上の注意義務があるのに、本館四、五階に設置しておくべき救助袋、緩降機、避難橋のいずれをも設置せず、消防計画に基づく通報、避難誘導訓練を実施せず、かつ宿泊客に対し投宿に際しあらかじめ避難口、避難要領を周知させる何らの方法もとることなく営業を継続した過失により本件結果を発生させた」などと主張するので、以下この点について検討する。

1、従業員に対し、宿泊客らの通報、避難、誘導訓練を実施すべき注意義務違反について

被告人は椿グランドホテルについてその管理権原者として消防計画を作成し、これに基づき従業員を指揮、監督して消火、通報および避難訓練を実施する等の消防法上の義務(同法八条、同施行令四条参照)を負うていたことは、前説示のとおりであり、前掲関係各証拠によれば、被告人は昭和四三年以降、右訓練を全く実施していないことが認められ、右義務に違反したものというべく、被告人がこの訓練を実施しておれば本件被害者の致死傷という結果は発生しなかつたかも知れないと考える余地が全くないとも言い切れない。しかし、右懈怠と本件結果発生との間に刑法上の因果関係が存するのかについては更に検討がなされなければならないところ、本件被害者ら七名は、火災の発生を女中等から通報されたことがなかつたことはもちろん、避難、誘導されたことも全くなく、ことに被害者らの各客室からさほど離れていない同じ階の本館四、五階各配膳室には、女中の倉本マスエなど約二五名および同戎嶋田鶴子らがいて、偶々早期に火災の発生を発見したのであるから同女らが階下へ避難する際本館四、五階の各客室を回つて火災の発生を早期に通報して宿泊客らの避難誘導の措置に出ることは十分可能であつたのに、同女らは、本館四階から二階へと各客室の扉を叩くなどして通報して回つた者が数名いるだけで、多数の者は、通報、避難、誘導の措置をとらず、驚きあわてて急ぎ階下へ走り去り、その他に通報等の措置に出た従業員もいない。その結果、被害者らは、火災を発見したときにはすでに廊下に煙が充満して避難することができず、判示各死傷の結果を負うに至つたのである。したがつて、女中らことに右倉本マスエ、戎嶋田鶴子らが被害者に対し通報、避難、誘導のために適切な措置を講じておれば被害者らの死傷の結果は発生しなかつたであろうということも考えられ、女中らの不適切な措置が右結果の発生に何らかの原因を与えたことは否定できない。そして女中らがこのように不適切な措置に出たのは、被告人が女中ら従業員に対しかねてから通報、避難、誘導の訓練を実施しなかつたことと全く無関係ではないけれども、他方被告人がかねてから通報、避難、誘導の訓練を実施していたからといつて、自動火災報知設備の電鈴も吹鳴せず早朝に火災が発生したため、その発見が遅れた当該具体的状況のもとでは、格別の資格、経験等を要件としない女中らが短時間内に避難、誘導等に努め、宿泊客らが無事に避難出来たものとは必らずしも断定できず、また女中らはその立場上避難等訓練の有無にかかわらず、宿泊客らを救援する条理上の義務を負つているものであるから、状況次第では、避難訓練を受けていない場合でも結果の発生を回避しうることも考えられる。さらに本件結果の発生は、判示認定の二個の注意義務違反に基づくものであつて、通報、避難、誘導の訓練実施義務違反がこれらの二個の注意義務違反と併存して結果を発生させたとも断定し難い。とすると、当該具体的状況のもとでは、右訓練を実施しないことにより結果が発生したものであるとも、逆に右訓練を実施することにより結果を回避することが可能であつたとも断定し難いのであるから、結局、被告人の右訓練をしなかつたことと本件の結果発生との間には、刑法上の因果関係が存在するかどうか頗る疑わしいものといわねばならないから、この点についての過失は否定せざるを得ない。

2、宿泊客らに対しあらかじめ避難口、避難要領等を告知すべき義務について

(一)、非常口誘導灯、通路誘導灯などの設置状況等

前掲関係各証拠によれば、椿グランドホテルには「非常口EXIT」等と表示した非常口誘導灯が約五八ヵ所、六ワツトカドニカ充電式の蛍光灯で、停電時も点灯する通路誘導灯が約二〇ヵ所設けられ、前者は出入口の上部に、後者は通路、廊下の各部分から歩行距離二〇メートル毎におよび曲り角にそれぞれ設けられこれらは出入口、非常口の所在と避難経路を指示する作用を果していたこと(検三号現場見取図の五、七、一三、二二、二三、二五、二六の各図参照)、本館四階については、非常口誘導灯六ヶ所、通路誘導灯三ヶ所がそれぞれ設けられ、西南二ヶ所の階段、東南の避難はしごの所在およびそこに至る経路を指示し、正常な機能を果たし得る状態にあつたこと、また同館五階についても、非常口誘導灯、通路誘導灯が各八ヶ所、二ヶ所設けられ、両者相俟つて西南二ヶ所の階段、東南の避難はしごに至る経路、その所在を指示していたこと、本館四、五階の宿泊客らは、廊下等館内の状況も単純であるから、これら誘導灯の位置を知り階段等を通じて避難するのに格別困難な状況はなかつたことなどを認めることができる。

他方、被告人は、昭和四六年二月一二日と同年一〇月五日の両日、白浜消防署の立入検査を受け、通路誘導灯を設置することなどを指示され、同年三月一一日、一〇月七日にはその旨の消防用設備等指示書の交付を受け、また同年一〇月末ころ営業支配人塩地が消防署の呼出を受け、同趣旨の強硬な指示を受け、同年一二月ころ大阪市所在難波ネオン株式会社に依頼し、一二〇万円位の費用で本館、中央館に誘導灯を設置したこと、その後翌四七年一月一二日消防署の立入検査の際、同署員から本館三階の三ヶ所の誘導灯の位置が高いので補修することとの指示を受け、同年二月四日付前掲指示書により誘導灯については完成検査をうけることとの指示を受けるも、前段認定のように本館四、五階から避難する場合の出入口、非常口等が宿泊客らにとつて認知するに特に困難な状況にはなかつたこと、以上の事実を認めることができる。

(二)、被告人は、椿グランドホテルの管理権原者として政令で定める技術上の基準に従い避難設備、すなわち誘導灯および誘導標識を設置し維持すべき業務上の注意義務を負つているものであるが(消防法八条一項、一七条一項、同法施行令七条四項二号、二六条参照。)、右に認定した誘導灯などの状況によれば、本館四、五階等の各所には出入口などの位置を告知、案内する非常口および通路各誘導灯が設置され、それらに格別の故障はなかつたのであるから、このような措置をとつており、この点で注意義務の懈怠がない以上、さらにそれ以上に宿泊客に対し投宿に際しあらかじめ避難口、避難要領を告知、周知させるべき義務はないものと解するのが相当であり、したがつて被告人にこの点の注意義務の懈怠があつたとはいい難い。よつてこの点について過失があつたとする検察官の主張もまた理由がない。

3、本館四、五階における避難器具の設置義務

旅館業者は消防法一七条により政令で定める技術上の基準に従い消防用設備等を設置、維持すべき義務があるところ、消防法施行令七条四項、二五条一項二号、二項により消防用設備等のうち避難器具については、同令六条別表第一(五)項イの防火対象物に該当する旅館、ホテル等の、二階以上の階で収容人員が三〇人以上のものには、消防法施行令二五条一項二号の表に従い各種の避難器具の設置義務があつた。そして同表によれば、四階又は五階については、すべり台(これは五階のみ)、避難はしご、救助袋、緩降機、避難橋のいずれかを設置することが定められていた。

椿グランドホテルは、鉄筋七階建ての新館と鉄筋五階建ての本館、その間に挾まれた中央館が存在する複雑な形状をした大規模、高層建築物であり、ことに本館は、各階毎に収容人員三〇名以上であつた。また本館には西側屋内に二ヶ所階段があるほか、東南角屋内に固定式避難はしごが設置されていたが、右避難はしごは、幅が非常に狭く二階から一階に通ずる部分は取り外されていたうえ非常に見にくい所にあり、とくに五階における入口は、大広間鳳の間奥の廊下の床にあり、しかも常時鉄製の蓋をかぶせ、その上にはジユウタンが敷いてあり、一般の宿泊客がこれを利用して避難することは事実上不可能な状態にあつた。

前段認定の諸事情を考慮すると本館五階の被害者平田他二名については、確かに右固定式避難はしごは事実上利用不可能でこの点に前記義務違反があるようにも窺えるが、右被害者三名は火災発生の発見が遅れて結局焼死するに至つたもので、焼死の位置、状況等に照らし、仮りに、避難器具が設置され、あるいは右避難はしごが利用しうる状態にあつたとしても、被害者三名の焼死という結果を回避しうるものではなく、またその予見可能性もなかつたというほかないのであるから、この点に過失があつたということはできない。さらに本館四階の田中菊枝他二名については、右避難はしごを利用するのに何ら支障はなかつたものというべく、早期に火災発生の通報をうけておれば右避難はしごないし階段を利用して無事避難しえたであろうことを推認しうるので、右義務は履行していたというほかない。また中央館三階熊野の間の藤井悦子については、避難器具の設置義務違反は訴因に含まれていないから、この点に関する検察官の主張もまた理由がない。

第七、量刑の理由

本件椿グランドホテルの火災は、昭和四六年一月二日に発生した和歌山市和歌浦の観光旅館寿司由楼の火災を始め、旅館、ホテル火災が相次いでいた折柄、昭和四七年二月二五日の未明に発生して多数の死傷者を出しホテルを全焼するという重大な結果をもたらしたもので、当時大規模なホテル火災として社会に少なからぬ衝撃を与えたものであり、出火した原因については従業員のガスコンロのコツクの締め忘れという疑いが残るものの、結局確定するまでには至らず、この点について被告人を非難することは困難であるとはいえ、被告人が判示の各注意義務を尽しておれば、早期に宿泊客らが火災を発見して避難を開始することができ、したがつてかくも火災が拡大して判示七名の死傷者を出すという惨事を回避できたものと考えられ、ことに煙感知器付自動火災報知設備の設置および既設の熱感知器付自動火災報知設備の維持、管理の措置は最も重要にして基本的な注意義務であるうえ、所轄の消防署から度々立入検査を受けてその不備、欠陥を指摘されて来たもので、それらの設置および補修に要する費用は、三〇〇ないし四〇〇万円程度であつたにもかかわらず、経営不振を理由にこれらの措置を怠つた過失の態様は軽視できないものがある。さらに、本件火災は早朝に発生したため幸いにして比較的被害は少なくてすんだが、当時椿グランドホテルには宿泊客らが四〇〇名以上在館しており、その火災発生時刻など条件次第ではより以上の惨事に発展したかはかり知れず、被告人は、長らくビジネスホテルや観光ホテルなどの経営を担当してホテル業の経験は豊富であり、かつ本件椿グランドホテルの経営責任者として宿泊客らの安全確保の措置に配慮を尽くすべきことを十分承知していたことなどを考慮すると、被告人において法令上要請される物的設備を完備することなく、防災についての関心は極めて稀薄で人命軽視の経営を続けたとのそしりを免かれない。

しかしながら他方、被告人は経営不振の中で消防署の行政指導等に応じて誘導灯などの設置に努め、自動火災報知設備についても設置する意図のあつたことは窺えることや被害者との示談状況、反省改悛の情、当時の経営状態、本件の罪質、その他被告人の性格、職業、家庭状況など被告人に有利な事情も考慮し、主文の量刑に至つた次第である。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 大西一夫 杉山英巳 古川順一)

別紙(略)

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